明治45年 1月 |
京都市下京区七条川端に於いて、故横井金次郎が個人営業にて、非鉄材各種合金・鋳造を創業し、工業用部品・神仏装飾美術品・一般
家庭用品等を製造販売する。 |
昭和 5年 1月 |
以後軍関係品(銅合金・アルミ鋳物)の下請製作を行う。 |
昭和 9年 1月 |
海軍工廠、その他関係工場の弁(バルブ)、その他電機兵器の受注を受ける。 |
昭和10年 4月 |
業務の発展に伴い、現在地に機械工場を新設する。 |
昭和10年12月 |
鋳造工場を現在地へ移転新設し、合名会社横井金泉舎を設立する。 |
昭和15年 1月 |
艦本、関係諸工場、及び航空廠、機体部品(主として鋳造品)を製作納入する。 |
昭和18年 5月 |
資本金50万円を以て、横井鋳工株式会社と改称し、株式組織に変更する。 |
昭和19年 1月 |
軍監理部より、関西地方、航空機製造工場に使用する銅合金鋳物の鋳造指定工場となる。 |
昭和20年11月 |
第2次大戦の終了と共に第6軍の通
達許可により、平和産業に転換する。 |
昭和21年 4月
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戦後、国鉄復興の為、車両用部品を全国車両区に部品納入を始める。 |
昭和23年 1月 |
資本金200万円に増資する。 |
昭和28年12月 |
鋳造工場の合理化に着手する。
モールディングマシン・ショットブラストの導入。 |
昭和29年 1月 |
資本金500万円に増資する。 |
昭和31年10月 |
溶解炉を重油炉に改良する。 |
昭和34年 1月 |
中子をシェル化し、量産・品質向上を計る。 |
昭和37年 2月 |
工作機械の老朽化に対処し、生産の合理化・品質の向上の為、設備の更新に着手する。
大隈鉄工LS旋盤・静岡鉄工フライス盤の導入。 |
昭和38年 5月 |
車両用コックの販路増大による、生産の合理化・品質の向上、コストの低減の為、工作機械の自動化を計り、玉
木鉄工の単能盤を導入。 |
昭和39年 8月 |
普通旋盤の生産性向上の為、日立精機ターレット旋盤に更新、逐次ターレット化を行う。 |
昭和43年 3月 |
旧機械の更新完了と共に、旧設備建物での作業能率の低下、運搬管理の悪化、作業面
積の不足により、機械工場を新設、移転する。(鉄骨ストレート茸) |
昭和45年 3月 |
鋳造設備等の近代化を計る為、当工場敷地内に別
棟鉄骨ストレート茸660uの建物と共に生産ラインの合理化を計る為、自動鋳物砂処理装置、並びにパレットローラーコンベアーラインの設置による最新の鋳造工場を建設、銅合金鋳物の生産を行う。 |
昭和46年10月 |
銅合金鋳造工場に引き続き、軽合金鋳造工場の近代化を計り、隣接して560uの鉄骨ストレート茸の建物と共に、自動鋳物砂処理装置とコンベアーライン、並びに大型鋳物造型ラインを設置し、ここに鋳造工場の近代化に一応の完成を見る。
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昭和47年 4月 |
設備近代化による資本の需要を倍額の1,000万円に増資してこれに充当する。 |
昭和50年 1月 |
機械加工工場の生産体制改革、製品の品質管理の擁立の為、
機械工場に隣接して808uの組立、検査、貯蔵の工場を新設する。 |
昭和54年 8月 |
工具管理の為、管理室を設置し、各治工具を品種毎に分類管理する。
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昭和55年10月 |
品質の高精度化、多品種少量品の効率化を目指し、NC工作機械の導入を始める。 |
昭和57年 9月 |
管理システムの合理化を計る為、福利厚生施設を含めた鉄骨2階建の事務所を敷地中央南に新築移転する。 |
昭和59年 7月 |
精密製品の品質維持の為、恒温検査室を新設する。 |
平成 元年 5月 |
NC工作機械類の導入と大型用機の処分を終える。
[主要新設機械] |
NC 旋盤 |
4台 |
マシニングセンター(立型) |
3台 |
マシニングセンター(横型) |
1台 |
NC複合旋盤 |
1台 |
精密測定用大理石定盤 |
1面 |
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平成 元年 7月 |
染織機械部品の製造・組立を開始。第二機械工場に組立ラインを設置する。 |
平成 7年 3月 |
多品種小ロット、同時生産に対応すべるく、大隈鉄工MC−400H 6パレットマシニングセンター1台設置する。 |
平成 7年 5月 |
鋳造工場合理化計画として、新東工業製FBO−U型高速造型機及び、砂処理ライン一式を導入する。併せて大洋マシナリー製自硬性造型ラインを設置し、高品質・低価格・短納期の客先ニーズへの対応を計る。 |
平成 8年10月 |
資本金2,250万円に増資する。 |
平成 9年 3月 |
高精度化に対応すべく、大隈鉄工MC−60VA立型マシニングセンターを設置する。
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平成 9年12月 |
大隈鉄工MX−45VA,MX−55VAE立型マシニングセンターを各1台設置する。 |